2013年9月11日

Quality of Experience

NZFWの後半戦、舞台は、南島から北島へ。南島の港町ピクトンから、フェリーで首都のウェリントンに移動。

このFWでは、「自然の保護」とは一体何を意味するのか、誰が、どうやって行うのか、「保護」という概念は適切なのか、などなど主にNZの国立公園管理を事例に考えるということも行ってきた。

南島では、実際にトレッキングをしたりシーカヤックをしたり、DOC(Department of Conservation)の現場の方々と、現場を見て、感じて、体験してきた。

ウェリントンでの主な目的は、DOCの本部で政策担当者と「政策レベル」での話を聞き、インタビュー調査を行うこと。「現場レベル」と「政策レベル」両方からこの問題を考えてみようという試みだ。

学生たちが事前に用意して、DOC本部の担当者に送った「質問票」はどれも興味深い論点ばかりだった。特に、富士山が世界遺産に登録されたことで、観光や商業と保護とのバランスなど、日本でも関心が高まっているテーマも含めて、約2時間のディスカッションを楽しんだ。

中でも私が印象に残ったのは「Quality of Experience」という概念。NZは、基本的に「適度に自然の中に人を入れ、その人に自然のすばらしさを体感してもらい、その大切さをわかってもらうことで、保護の意識を高めよう」というアプローチだ。そのためには、自然の中で「素晴らしい」体験をする必要がある。

これが「Quality of Experience」である。「体験の質」を重視するのだ。そのため、トレッキングのトラックを歩く人数を「山小屋」の収容人数との関係で制限したり(70人限定とか)、トレッキングの方向をあえて一方通行にするなどの工夫(前からすれ違う人を気にすることなく自然を堪能できる)をしている。

この種の概念を国立公園管理に取り入れるという意識は、日本では薄いように思われる。自然を体験するだけでなく、その体験の質をどうやったら高められるか、そしてそれが人々の意識変革にどうつながるのかまでを視野に含めたアプローチである。

富士山の山頂でのご来光は確かに素晴らしい体験だが、山頂が人混みで、ガヤガヤした中でのご来光より、人も少なく静かな環境でのご来光の方が感動は大きいだろう。そのためには、「制限」が必要になる。もし制限するならば、誰がどのような基準で「制限」するのかを決めなくてはならない。「商売」や「観光」とのバランスも迫られる。「正解」はない。

このNZFW、学生たちの受け止め方はそれぞれだったのだと思う。でも、どの学生にとっても貴重な体験にはなっただろう。10年後に、20年後に、結婚して子供も産み、家族ができてから、ふと今回のFWを思い出す人がいるかもしれない。その時、世界はどうなっているか、またその学生がどんな生活を送っているかわからないが、これからの人生を切り開いていく上で、いつか何かの役に立てばいいなと思う。

教育というのは、種を植える仕事なのだと思う。収穫までは長い道のりだ。すぐに成果は出ないし、手をかけるのをやめてしまえば枯れてしまうかもしれない。いつか、ステキな実となって、その果実を楽しむ日が来てくれたら、担当教員としてこんなにうれしいことはない。


追記:
清泉女子大学文学部地球市民学科の第1回NZFWが、滞在先のネルソンの地元紙「Nelson Mail」に取りあげられました。参加学生にとっても、いい思い出になったことと思います!このFWを支えてくれた多くの人に改めて感謝!


"Japanese university's dream Nelson Visit" (Nelson Mail, Sep. 13, 2013)












2013年9月6日

自然との距離を測定する

清泉女子大学文学部地球市民学科の「フィールドワーク1(NZFW)」、順調に進んでいます。

エイベルタズマン国立公園にて、1泊2日、シーカヤック+トレッキングで過ごしてみたり、マオリの人々の思想を学んだ後、彼らと一緒に彼らの聖地に連れて行ってもらって、マオリの薬草学を直接学んだり……。

「自然と現代社会・現代文明との関係性を再考する」というテーマ、いろいろな角度から深めることができている。

横軸をとって、その左端は「自然」、右端は「現代社会・現代文明」だとしたら、自分はどのあたりでどのようなバランスをとりながら暮らしているだろうか。

マオリの人々と過ごす中で、彼らの自己紹介の仕方が印象的だった。図解すると、以下のような形になる。


この図は彼らの世界観を表している。山があり、その山を川が流れ、川は海に注いでいる。その上にカヌーが浮かんでいて、その上に乗っているのが我々だという世界観である。

自己紹介もこの世界観を反映させたものとなる。つまり、「私の山は●●で、私の川は●●で、私の海は●●で、名字は●●、名前は●●です」という具合である。

自分は「母なる大地」の一部であって、「名前」はいくらでも後から変更できるが、山や川や海はそう簡単に変わるわけではないという。

ところが、この自己紹介、主に東京エリアに住んでいる学生たちが真似して行おうとしたところ、うまくできない。言語の問題ではなく、自分の山が何で、自分の川が何か、自分を取り巻く自然環境についてよくわからないのだ。

多くの学生たちの生活が、自然から遠いところにある、ということもこんな自己紹介を経験することでも見えてくる。

東京都目黒区生まれの僕の場合、「私の山は富士山で(小学校の屋上から見えた山といえば富士山くらい・・・)、私の川は目黒川で、私の海は東京湾です……」みたいな話になってくる。目黒川も、東京湾も何だかねぇ……。

でも、この話をしてくれたマオリの人に聞いたところ、自分の山や川などを変更してもいいそうだ。出生地に必ずしも縛られることはないという。

松本在住の今では、「私の山は常念岳で、私の川は梓川で、私の海は太平洋(日本海とすべきかもしれないけど、自由に選んでいいというのなら太平洋を選ぶ)で……」となる。

自然との距離。ここNZにいると、毎日のように考えさせられる問題だ。