2013年8月19日

ミニマムライフ実践への道のり

思えば自分の人生のちょっと先を走っている人たちは、バブルの残り香を残しながら、その先に進んでいったように思う。常に、なんとなく、バブル時代への憧れが心のどこかにあったように思う。バブルを生きる大人たちの真似をしてみたかった。そんな想いがあったからだろう。

今でもあるのかもしれない。ホイチョイの世界観大好きだし、『私をスキーに連れてって』とか『バブルへGO』とか何度観たことか。でも、さすがに、自分なりの価値基準ができてきたように感じている最近は、もう少し離れたところから物事が捉えられるようになった気がする。

親と共に行動していた小学校時代を終え、中学に入ってからは、基本的に親へのお伺いは最小限で(たいがい自分ではどうしようもない規模のお金がかかることについての相談だった)、自分基準で自分の行動を決めていった。自分基準で決めているつもりでも、社会やマスコミや先輩たちや大人たちや友人たちの影響は大いに受けており、実際は決めさせられていたというところだろう。

これまでは、得られなかったバブルへの憧れも手伝って、これ持っているとかあれ持っている(ブランドものにはじまり、クルーザーとか、自家用ジェット機とか)というのが価値だったが、今オモシロイのは、どれだけ持っていないか、だという価値観に賛同するようになった。

というわけで、最近は、「ミニマリズム」の思想が面白くて、影響を受けながら実践を続けようと努力を続けているが、道のりは長そうだ。私の場合、モノをミニマルにするだけでなく、情報を含め、身の回りに降りかかるあらゆる「ノイズ」を可能な限り排除したいと楽しみながら、環境を整えている。

身の回りのものを捨て、スッキリさせ、自分に何が必要で必要でないかをハッキリさせていくためには、「移動」してみることだ。最近の生活パターンでは、山登りや、キャンプや、複数拠点をめぐりながらの国内移動や、比較的長期の海外出張などなど、「移動」の機会の度に、何が必要で何が必要でないか、いろいろと試行錯誤している。

家族単位で、家の中をシンプルにするには、引っ越しが役立っている。別に、ミニマリストを極めるために引っ越しをしているわけではないが、結果的に、グンとものが減るのは、引っ越しの後である。

物理的に活動拠点が変わると、モノだけではなく、人間関係なども含め、目に見えないものも一旦リセットされる。細かいことでは、新聞をとるのかとらないのか、ケーブルテレビには加入するのかしないのかなど、情報関係もリセットされる。モノがスッキリすることも気持ちがいいが、この情報周りのノイズからリセットされる気持ちよさも格別だ。

数えてみたら、結婚した2002年以降、自分の引っ越し回数は、9回になろうとしている(今月末もミニ引っ越しだ!)。引っ越しの度に、確かに身軽になっていく。気持ちがよい。でも、しばらく暮らしていると、すぐにモノは増えていくので用心しなくてはならない。

ここ数年は、複数拠点を移動しながらの仕事が多いのだが、年々、移動の度に持ち歩く荷物が少なくなっている。とはいっても、世の中のミニマリストたちは、もっとすごいことになっているので、こりゃ長い道のりだ、とマイペースで少しずつ自分が心地よく感じる環境を整えているところだ(とはいえ、まだ、自分の中に「得られなかった永遠の憧れとしてのバブル」の存在を感じることはある。たまにせめぎ合い)。

「捨てる」とか「手放す」は、もしかすると前の時代的にはネガティブな響きだったのかもしれないが、次の時代はポジティブな響きになるに違いない。実際、自分の周りにも、そんなポジティブさを求めて「捨てたり」「手放したり」する人は確実に増えている。