2012年7月15日

規模の効用

ここ数年、「都市の規模」についてずっと考えている。石油ピーク後の社会を念頭においた上での「オモシロイ都市とは?」という問いである。

この先、大都市およびその近郊に住むことはリスクが高すぎると判断し、生活の拠点をより小さな都市に移した。選んだのは松本市だ。

とはいえ、石油ピークのことを考えるならば、もっと自給自足的な生活に近い場所、それを実現できるような場所に生活の拠点を構える方がいいのだろうとは思う。実際、我が家の感覚では、松本市の都市中心部に拠点を移すというのは「最終形態」ではなく、その次に向けての「つなぎ」的な位置付けである。

それでも、周囲には「最終形態」を想像しうるような自然環境が豊かである。街のど真ん中にいても、自然のエネルギーを感じることができるのは、この都市の魅力だ。というわけで、当面は、ここを拠点に、次の時代のライフスタイルを模索していこうと思っている。

ただ、「石油ピーク」云々というのは、やや言い訳めいたところがある。実際のところ、正直に言うならば、我が家が松本市に拠点を移したのは、石油ピーク要因といううより、ただ単に街が持っている魅力に惚れてしまった、という要素の方が圧倒的に強い。その魅力を一言で言えば、「街の文化レベルが高く、都市の寛容性も高い」ということに尽きる。

そんな松本は、今、「大歌舞伎」一色である。2年に1度行われる1週間程度の歌舞伎公演の間中、街は歌舞伎で大いに盛り上がる。演目は「天日坊」。リンクを見てもらえばわかるようにキャストも豪華である。

地方都市で、これだけの期間、これだけのキャストをとどめておけることのできる都市、言い換えれば、これだけの期間にわたって会場を満員にし続けることができる都市は、日本の中でどれくらいあるだろうか。極めて限られるのではないだろうか。

街の人びとと役者や演出家の関係が、極めて近いのも特徴だ。公演を終えた役者さんは、そのまま街に出て食事をし、飲みに行く。街の人たちも、ただ遠巻きに「有名人」を見るという態度ではなく、舞台の感想などを直接役者さんにフィードバックする。街の人が、当たり前のように舞台を見ているからこそ成り立つ関係だ。こうしたダイレクトな反応が松本公演の魅力だと語る役者さんも多い。

このような形で文化的な営みに近い距離で関われるというのは、「規模の効用」とでも呼べるものだと思う。文化イベントの数でいえば、圧倒的に東京の方が多いだろう。ただ、東京では都市の規模が大きすぎて、文化・芸術との距離が遠くなってしまう。劇場までの物理的な距離も遠い。東京という巨大都市の中で、せっかくの文化イベントが埋没してしまうのだ。

その点、松本はいい。文化イベントを呼べるだけの規模がありながら、埋没してしまうほど大きくはない。というより、街をあげて盛り上がらなければ、トップレベルの文化を呼ぶことができないくらい小さな都市に過ぎない。市民の文化・芸術に対する理解が深いから、盛り上げようとするし、実際に盛り上がる。

日曜日の昼間は、歌舞伎役者さんたちが松本城に向かって人力車でパレードする「登城行列」が行われた。今にも雨が降り出しそうな天気だったにもかかわらず、沿道には多くの市民が集っていた。すごい動員力である。文化イベントが、街に根付いているからこそなのだろう。

この週末から、松本出身で世界的なアーティスト草間彌生さんの「草間彌生展」が市民美術館で始まった。コミュニティシネマ運動も盛んで、良質の映画が毎月のように上映されている。来月は、小澤征爾さんが総監督を務める「サイトウ・キネン・フェスティバル」も行われる。

物理的にも心理的にも「すぐそば」という距離感でこうしたイベントと触れあえるのは、松本の魅力だ。「規模の効用」だと言える。大きければいい、量が多ければいい、という時代は終わろうとしているのだ。もちろん、都市も例外ではない。








2012年7月12日

「スクリーン」とのバランス

バランスは大切だ。でも、うまくバランスが取れるようになるためには、それなりの訓練がいる。その術を一度身につけてしまえば、後はほぼ無意識のうちにバランスが取れるようになる。補助なし自転車に乗るための練習に似ているかもしれない。

今、最も関心のあるバランスは、「スクリーン」を通してつながることとのバランスだ。ネットとの距離とも言える。

はじめてインターネットを体験したときから、つながることに夢中になった。かれこれ20年近く、夢中だったと言える。でも、今は「過去形」を使いたい気分だ。より速く、より多くの人と、より多くの情報を、という欲求は過去のものになりつつある。

SNSが登場したときにも夢中になった。mixiにも、greeにも、まだ日本の友人がほとんど利用していなかったfacebookにもいち早く登録した。アメリカの高校時代の同級生とつながれたときは、興奮したものだった。

でも、ある時から、ネットの世界の捉え方が変わってきた。これまでより多くの人々と「つながれて」いるし、多くの情報を文字通り「浴びるように」過ごしてきたが、「心の内側」が揺さぶられるような体験をしていないことに気づいたのだ。それどころか、情報やつながりの多さに、多少「うんざり」している自分がいることにも気づいてしまった。

バランスをとるために、振れすぎた針を戻そうと決心した。mixiも、greeも、facebookも退会した。1日に何度も何度もfacebookのページにアクセスしていたが、一気にゼロになった。退会してすぐは、「クリック」したい衝動に何度も襲われたが、すぐにfacebookのない生活に慣れた。

変化もすぐに訪れた。facebookをやっていたときより、facebookでつながっていた人たちときちんと向き合って、その相手のことをしっかりと想いながらメールの文章を書くようになったのである。そして、facebookで「中途半端に」つながっていた時よりも、友人たちと「リアル」に会う頻度が増したのだ。

因果関係はわからない。たまたまかもしれない。ただ、メッセージをしたためる相手と、SNS経由よりも、気持ちを込めて向き合えるようになったのは確かだ。「内面」の変化を感じている。

そんな中、以下の本を読んだ。「待ってました」とばかりに、ドンピシャなテーマだった。


ウィリアム・パワーズ(有賀裕子訳)『つながらない生活:「ネット世間」との距離のとり方』プレジデント社、2012年。

著者のパワーズも、同じような葛藤を抱え、「内面」の安らぎについて論じている。「スクリーン」とのバランスのとり方について、具体的なアドバイスや著者の経験も披露してくれている。

私の場合、SNSをやめた程度であり、まだまだ「スクリーン」依存度は高い。でも、最近は、生活の中で「スクリーン」との距離を意識しながら過ごしている。できる限り「ネット時間」を削減しようと心がけている。iPhoneでtwitterを読むのもやめた。twitterは続けているが、パソコン経由でたまにチェックするくらいにとどめたいと思っている。

実験的に、携帯電話やE-mailも辞めてみたいが、有効な代替策を思いつかず、日常生活(というか仕事)に重大な支障を来してしまうので、実行できていない。

ただ、定期的に、ネットとの接続を一切経って、ソロキャンプに出かける機会を設けようと計画している。山に行って、ソロでテントを張りつつ縦走してみようという企みだ。緊急時用にiPhoneは持って行く予定だが、電源は入れない。その代わり、紙の本は持って行く。一人、テントの横で、コーヒーでも淹れつつ読書する予定だ。

計画を練っているだけで、「内面」の奥深くが「喜んで」いるのがわかる。こういう種類の内面の喜びや魂(?)の震えは、約20年弱のネット経験で体験したことがないのでは、と思う。少なくとも、思い出せない。やっぱり、ネットでは「内面」の奥深くを揺り動かすことは出来ないということか。

かといって、ネットを敵視しようとも、忌み嫌おうとも思っていない。むしろ、今でも大好きである。だから「バランス」なのだ。今はただ、うまくバランスが取れるようになるよう、「訓練」を重ねる時期なのだろう。

そのための「訓練」や「試行錯誤」は苦にならない。うまくバランスが取れたときは、自分の内面とゆっくりと、そしてきちんと向き合える余裕も時間も生まれることに気づいてしまったから。

素晴らしい「アイデア」や「創造性」は、ネットの中になど転がってはいない。自分の内面としっかりと向き合うことでしか引き出せないのだ。今は、そう信じている。


追記:
「内面」との向き合い方について考えていたら、TED Talkでのスーザン・ケインの「the power of introverts」を視聴する機会があった。パワーズの著作といい、ケインのスピーチといい、あまりのタイミングの良さにちょっと驚いている。オススメの動画。ケインの著作『Quiet: the Power of Introverts』も購入した。kindleバージョンを。まだ読めていないけど。これはiPad読書で。

http://www.ted.com/talks/lang/ja/susan_cain_the_power_of_introverts.html