2012年6月7日

「新しい形の大家族」の時代

世界的に石油減耗、エネルギー減耗が顕在化する時代になるにつれ、「家族形態」にも変化が現れることになるだろう。

日本において石油が主要なエネルギー源になったのは、第二次世界大戦後だが、この時期から都市化が進行し、核家族化も進んでいった。農村部に取り残された「両親」の世代は、そのまま年齢を重ね、過疎化や高齢化が加速していった。

都市に目を転じると、この先、大きなチャレンジを突きつけられるのが、いわゆる「郊外」である。大都市周辺に広がる「郊外」は、安い石油の時代に最適化された都市作りが行われた。移動手段は車であり、大規模商業施設が(徒歩でアクセス可能な)地元の商店街を駆逐していった。

そして、今、郊外で生まれ育った若者は、都市中心部で生活するようになり、郊外の高齢化が問題となっている。石油ピークは、郊外に暮らす高齢者世帯に多大なる困難をもたらすことになるだろう。移動もままならず、付近には食料(や農地)もなく、その割には人口が密集している。

核家族の中には、共働きをしないと生計を維持することが難しく、そんな中で「子育て」をどうするかという問題に直面している家庭も多いだろう。また、彼らの親世代の「介護」が必要になった場合、どのように対処することになるのか。

現在、ますます「市場」に委ねられるようになっている、「医療」、「介護」、「子育て」であるが、現在の家族形態のまま既存の市場システムの機能不全が深刻化すると、「お金」で「市場」が吸収することが難しくなる。

これらの機能は、かつて大家族(血縁)の中で、ご近所コミュニティ(地縁)の中で吸収され、担保されてきたものである。こうした機能は、石油ピーク後の世界では、どこで、誰が、どのように担うことになるのだろうか。

筆者の考えは、「新しい形の大家族」に可能性があるのではないか、というものである。「新しい形の大家族」とは、必ずしも地縁や血縁とは関係なく、メンバーが限定されない形で緩やかにつながっている、あたかも家族のようなメンバーを指す。

メンバーが限定されないというところがポイントである。たとえば、つい先日我が家には総勢10数名が集い、寝食を共にする機会があったが、そこでは血縁と関係なくそれぞれの子供の世話をしていた。

従来ならば、市場で「保育サービス」を購入すべきところを、緩やかな家族の枠を超えたグループが吸収したのである。

これは、ただ単に数日間だけのお話であるが、筆者が想定しているのは、こうしたつながりの発展型である。この時、グループメンバーは、いつも同じである必要はない。時や場所に応じて、柔軟に変化していくものである。

シェアハウスのように、物理的に同じ屋根を分かち合いながらも、かつての大家族のように血縁で結ばれているわけではないというようなパターンは近いかもしれない。

こうしたメンバーを複数の場所で、また、複数のパターンで形成することができるように日頃から「リアル」な人間関係を構築しておくことが肝要である。アメーバ状に、くっついたり、離れたり、どこからどこまでが境界なのか明確にわからないというのが、その特徴だ。

こうした「新しい形の大家族」を形成する能力は、今この時代にはそれほど重要視されていないかもしれない。少なくとも「お金」があれば、「市場」で調達可能である。

問題は、「お金システム」そのものに疑念の目が向け始められているというところにある。今我々の知っている「お金システム」は、普遍的なものでも、永続的なものでもない。衰退への変化は徐々に、そして崩壊するときには一気に崩壊するというのが、複雑化したシステムが抱える宿命である。

地縁でも血縁でもない、「新しい形の大家族」を形成する能力は、次の時代に「次の時代の勝ち組」を生み出す源泉として重宝されることになるのではなかろうか。