2012年1月29日

『官報複合体』

日米の新聞比較を中心としたジャーナリズム論の力作。


牧野洋『官報複合体:権力と一体化する新聞の大罪』講談社、2012年。

著者は元日本経済新聞の記者で、現在アメリカに在住しながらフリーのジャーナリストとして活躍している。本書の構想は、20年以上前に、著者がコロンビア大学のJスクール(ジャーナリスト養成のための大学院)に留学中に受けた「衝撃」以来暖めてきたものだという。

20年の時を経て本書が世に出た格好であるが、時節にかなっているのではないかと感じる。すでに日本でも「新聞社の苦悩」が多くの場所で指摘されるようになっているし、旧来から指摘されてきた「記者クラブ問題」も以前に比べれば多くの国民が知るところとなっている。

具体的なエピソードや事例が豊富であり、地に足がついた議論が展開されている。説得力もある。同様の問題意識から執筆された類書がゼロというわけではないが、ボリュームも内容も間違いなく「力作」である。

私自身の経験でも、本書と同様の問題意識や日本のマスコミへの物足りなさ感から、約5年ほど前からほとんどテレビを見なくなり、(紙の)新聞の購読をやめてから約2年が経つ。よく考えたら、インターネット経由でも日本のマスコミ報道をあまり読んでいないかもしれない。従来型の「メディア」や「ニュース」というものにあまり関心をなくしてしまったのだと思う。(マスメディアでなく、新しいメディアであるインターネットにしても、今後、接する時間をできる限り削りたいと思っている。)

本書を通して、ウォール・ストリート・ジャーナル紙のユニークさとある種のすごさを知った。もっとも、著者も嘆いているように、2007年にマードック氏に買収されて以降、その輝きを失いつつあるのだそうだが。

そういえば、とあるシンクタンクで研究報告をした際、フロアのジャーナリストから、「構造的にみてマスメディアの凋落が避けられないと思われる近未来、ジャーナリズムはどうなると思うか?」という質問を受け、うまく答えられなかった経験があったことを思い出した。

本書を読んだ後でも、私自身、まだ明確な答えにたどり着けたわけではないが、「ジャーナリズムの必要性は近未来であってもいささかも減じることはない。むしろ、その重要性は増すだろう」という思いは強くなった。

やや残念なのは、本を売るためのマーケティングなのか、帯がやたらと扇動的な点だ。確かにそういった記述は本文中に見られるが、著者の丹念な議論の中心ではない。帯に引いてしまうことなく、一読すれば、その価値を感じられることと思う。

2012年1月19日

ドリカム・カード+ボックス

友人のライフスタイル研究家である内海裕子さんが、著書『手帳美人の時間術』(マガジンハウス、2009年)で、ご自身の手帳内に「ドリカム・ノート」なるものをつけていると言っていた。


曰く、その年にかなえたいことを、ノートに書き出しておくのだそうだ。このやり方を実践するようになってから、その年の終わりにドリカム・ノートを再び見返してみると、かなりのことが実現できているという。

ポイントは、「〜したい」ではなくて「〜する」、「〜になる」、「〜へ行く」など願望を書くのではなく、その願望が達成された状態を言い切り型で書いておくことらしい。

内海さんのオススメということで、去年は、手帳にドリカム・ノートを作って試してみた。そして、去年の暮れに見返してみると、確かにけっこうな割合で達成できている。積み残しもあるけど、達成できたものを横線で消していく作業はなかなか気持ちがいい。

これはいい、と今年もやろうと思ったが、今年は手帳も新しくして、時間管理やアイデアの整理方法など、デジタルとアナログをうまく使い分け、自分なりにカスタマイズする年と位置付けている。だから、手帳の使い方も、オススメをそのまま実践するのではなく、試行錯誤しながら自分のベストなやり方を探っている。

自分の中でドリカム・リストは、かなり重要な要素を占める。今年は、何かやりたいこと、行きたいところなどなど、少しでも願望が出てきたら、そのままにせず忘れないうちにすぐにメモをすることに力を入れたいと思っている。そのため、輪ゴムで止めたカードの束と万年筆を常に携帯している。ここに、思いついたことをドンドン書いていくのだ。

ということで、今年の方法は、ドリカム・ノートではなくて、ドリカム・カード。これだと、後から分類や操作が加えやすい。このカードを、カードボックスの専用の場所にストックする。そして、気が向いた時にながめて、思い出す。その際に、新たに思いついたことがあれば(実現の方法なども含めて)、カードに加筆する。

カードを使った情報管理は、何度かトライしたことがあるが、まだ、自分のものに出来ていない。全部を一気にやろうとするからダメなのだ。カードが適しているもの、そうでないものがある(はず)。私にとって、ドリカム・カードはなかなかよさそうだ。

ある程度ドリカム・カードが溜まってきて、眺め返してみると、自分という人を客観的に見直すことが出来そうだと期待している。あ、こんなこと考えてたのか。とか、こういうことが好きなのね、とか。

どの程度、ドリカムするか、楽しみにしながら今年一年を過ごすことにしたい。

2012年1月3日

シュリンキング・シティ

海外調査の空き時間に、最近の関心事である「都市論」に関する文献を読んでいる。そんな中、「シュリンキング・シティ(縮小する都市)」について取り組んでいる大野秀敏先生の著作が面白かった。大野先生は、2050年の首都圏の姿について「ファイバーシティ」というコンセプトを提唱されている。


大野秀敏+アバンアソシエイツ『シュリンキング・ニッポン:縮小する都市の未来戦略』鹿島出版会、2008年。

「石油ピーク」やエネルギー論の視点は、それほど勘案されていないものの、そもそもの問題意識として、①人口動態を冷静に分析すると2050年には4000万人の人口減が見込まれており、これは首都圏がすべて消えてもまだ足りないとてつもない数である、②地球は有限であり、いつまでも「成長」を続けることが原理的に不可能である以上、いつか「縮小局面」が訪れる、といったことが発想のベースとして提示されている。

これまでも、地方都市では人口縮小が起こっていたが、これは社会減であった。……(中略)……これからの縮小は国全体で起こり、大都市といえども無縁ではいられない。(8頁)
20世紀は成長の時代であったが、あまりに急激な成長によって、われわれは短期間のうちに成長の限界にまで達してしまった。それゆえ、21世紀は縮小の時代であり、これを解決するのが人類の課題である。(10頁)
これまでの都市計画の法体系、手法、実行組織、建築関連の法規、デザイン思想など、いずれも20世紀に形成されたものであり、膨張を前提にできあがっている。具体的にいえば再開発、区画整理、ニュー・ディール政策、ハワードの田園都市構想、ル・コルビュジエの現代都市構想など、いずれも地価の上昇、需要の無限成長を前提としているが、このような手法は現代ですら立ちゆかなくなっている。(16頁)
21世紀が縮小の時代だとするなら、縮小の時代の先鞭をつけた地域が最終的には21世紀文明の先頭に立つことになる。(17頁)

この本では、多くの識者が「シュリンキング・シティ」をテーマに、対談や論考を寄せているのだが、中でも特に「緑地」に関する言及は考えさせるものがあった。

日本の都市と欧米の都市の公園の面積を比べて、いかに日本の都市において緑地が不足しているかを示すかというのが、これまでの都市ビジョンのおきまりであったが、これからはあり余る緑の管理に苦しむだろう。……(中略)……庭園と農業は、今後、都市計画、建築を考える際に最も重要な課題になるだろう。(103頁)

これまで都市の住人にとって、緑地とは好ましいものとして捉えられてきたが、実際に都市が人口減などで縮小局面に入ると、管理放棄地が続出し、むしろ空き地、緑地の管理に苦しむことになるという。確かにそうだ。この点、石油ピーク論者は、食糧問題との関連から、キューバの事例などを持ち出し、「都市の空き地で有機農業を!」と提案しそうだ。

いずれにせよ、石油ピーク論者と、シュリンキング・シティを講じる建築家、都市計画家、研究者とは十分にコラボレーションの余地があると確信した。両者の間の相互交流で、この議論はますます面白いものになるに違いない。

2012年1月2日

バンコク:2012年元旦

バンコクにやってきた。いつ来ても、アジアの街らしい活気がある。屋台文化が根付いている街というのは、そこで生活する人々の「下からわき上がってくるようなパワー」というものを感じさせる。力強い。底力がある。

2年連続で年越しをバンコクで過ごした。もっとも、大晦日は紅白を見た後、10時くらい(日本時間の12時頃)に寝てしまい、ベッドの中で半分寝ぼけながら花火の音を楽しんだだけだったが。

写真の初日の出は、滞在中のアパートの窓からのもの。街に出ると、元旦からどこもすごい賑わいだった。観光客も多いのだろう。国際色豊かだ。

去年から続く、欧州を中心とした経済危機。今年あたり、北半球を飲み込むかもしれない。いずれにせよ、この先数年、困難な事態が次々に表面化してくるに違いない。バンコクの人々は、持ち前の笑顔と逞しさで、来る困難を乗り切っていくのだろうか。そうあって欲しい。