2011年6月29日

コプト教徒の食事規定

昨日の研究会では、エジプトにおけるコプト教徒についての発表を聞いた。歴史的な背景も含め、私のように内実がよくわかっていない人にとっても、全体像をつかむことのできる大変勉強になる報告だった。

報告の中で、コプト教徒は断食(それも年間5回で計165日も!)をしているということを初めて知った。ただしこの場合の断食は、イスラームにおけるラマダーンのような形(ラマダーン月に日の出から日没まで断食をする)というのとは形態が異なる。

どうやら、初期キリスト教が持っていた食事規定に則るような形で、たとえば「動物性蛋白質」を摂らない、などの形で断食をするのだそうだ。断食というよりは、食事規定という方が近いかもしれない。

多くの宗教が、なんらかの食事規定を設けているのは実に興味深い。その当時と今とでは、食料の生産原理が決定的に異なる。現代人は、石油をふんだんに投入し、いわば「工業的農産法」によって大量の食べ物を確保している。これは、石油というエネルギー源が、社会で広く使われている時代でなければ不可能な方法である。

1つの試算によると、現代的な食料生産では、食物1キロカロリーを得るために、約10キロカロリー分の石油を投入しているという。食肉生産は、そうしてとれた穀物を家畜に与えることで成り立っている。そうでなければ、現代ほど大量の「余剰食肉」が社会に出回るはずがない。つまり、今ほど「動物性食品」が巷にあふれている社会は、人類史の中で考えると極めて特殊な状況だということである。

石油を食料生産に用いることができなかった時代においては、「動物性食品」は貴重であったはずである。そして、多くの宗教が、その「動物性食品」とのつきあい方について言及しているのは興味深い。化石燃料を大量投入できない時代における、人間の食のあり方に関する「智慧」が刻み込まれているような気がしてならない。

そして、我々はまもなく「エネルギーの減耗期」に突入しようとしている。「衣・食・住」のプライオリティを考えると、「食」が最も重要である。かつての宗教の教義の中には、「エネルギー減耗期」を生きることになる現代人への示唆が含まれているような気がしてならない。

現代でも続いているコプト教徒の「断食話」を聞いて、そんなことを考えた夜だった。

『アラブ諸国の情報統制』増刷決定


山本達也『アラブ諸国の情報統制:インターネット・コントロールの政治学』慶應義塾大学出版会、2008年。

上の著書の増刷(二刷)が決まったというご連絡を出版社の方から頂きました。ありがたいことです。


2011年に入ってから中東では多くの国で政治的な変化・変動を経験していますが、きっかけとなったチュニジアでもエジプトでもICTの発展と普及、そしてICTを利用したソーシャル・メディアが「革命劇」において重要な役割を果たしたと考えられています。

この著作が出版された2008年当時は、中東でも今のような形でソーシャル・メディアが広く普及しているという状況にはなかったため、本の中では今回の政治変動のメカニズムについて直接的な分析は行っていませんが、情報化が進展することによる「政府側の懸念とその政策的対応(インターネット・コントロール)」について主に論じています。

本書の着想は、2002年から滞在していたシリアでの経験から得たものです。当時から、様々な形でアラブ諸国の政治動向についての研究は行われていましたが、この先、大きな動きがあるとするならば、その時はインターネットや携帯電話に代表される「新しいICT」が重要な役割を果たすに違いないという思いから研究を続け、まとめたのが本書です。

本書の中で、当時の政府側とその規制をくぐり抜けようとする市民たちとの攻防の様子を分析し、「短期的には政権側が有利な構造があり、ただちに変化を及ぼすということは考えにくいが、中・長期的には大きな変化につながるかもしれない」という趣旨の記述をしました。フェースブックやツイッターなどの急速な普及によって、その「中・長期的展望に関する予測」が現実のものとなったのが、2011年だったのではないかと思っています。

本書が、今、中東で何が起こっているのか、情報化進展の背景にはどのような要素が絡んでいたのかなどを知る手がかりを提供できればと願っています。


ちなみに、以下のコラムでは、今回発現したようなメカニズムで政治変動が起きる可能性を指摘しています。このコラムでの「懸念」が現実のものとなったのが今だったのではないかと思っています。

山本達也「ケータイで群衆化するアラブの若者:「反イスラエル」ではない新しいデモの形」(JB Press、2009年7月8日)


また、革命後に書いた同様のメカニズムの説明としては、以下のコラムもあわせてご参照頂ければと思います。

Tatsuya Yamamoto, "The Mechanism behind the Egyptian ICT Revolution and Its Connotations"(The Tokyo Foundation、2011年3月2日)

2011年6月24日

グリーン経済か、パーマカルチャーか?


3.11以降、再生可能エネルギーに関する議論が白熱している。とはいえ、「再生可能エネルギー推進論者」には大きく分けると2つのタイプがある。決して一枚岩ではないのである。そのため、議論がいまいちかみ合わない。

一体、2つの異なるタイプとはどのようなものなのか、なぜ、どのように異なるのか。理解のためのキーワードは、「エントロピーの法則」および「EPR」(Energy Profit Ratio)である。

そして、未来に対する4つの異なるシナリオと、その信奉者たちをカテゴライズすることでも、主張の違いが見えてくる。

そんなことを考えながら、執筆したコラムがShiftMにて公開されました。

グリーン経済か、パーマカルチャーか?」(ShiftM、2011年6月13日)

歩み寄れそうで歩み寄れない、反主流派たちの「不幸な断絶」を乗り越え、建設的な対話がはじまることを願っています。

2011年6月23日

イスラームの豊かさを考える


共著書籍の見本が届きました。

奥田敦・中田考編『イスラームの豊かさを考える』丸善出版、2011年。

私が担当したのは、「文明論と豊かさ」という視点からの検討で、第9章「文明論的視点から見たイスラーム的豊かさ論の不可避性」を執筆しました。

「文明とは突き詰めれば『余剰エネルギー』のことである。」という書き出しで、「エネルギー論」の視点から現代文明を論じ、現状を維持し続けることは困難な状況にあることを「石油ピーク論」をベースに説き起こしています。

つまり、今は、「文明論的にみても大転換期にある」ということです。ここまでは、多くの論者が指摘するところではありますが、「では、それに代わるものは?」という質問に対しては、ほとんどの論者が黙ってしまいます。

この研究プロジェクトでは、この点「イスラーム的な豊かさ論」に着目しながら、検討を重ねてきました。

まだまだ議論の端緒という段階ではありますが、イスラームが有している「智の体系」の中に、「次の時代」が隠れているのではないか、そのことを自覚的に掘り下げていくことこそ、今、イスラーム研究者に求められている課題ではないのか、という問題提起を行いました。

発売は、もう少し先で、おそらく7月頭には、書店にも並ぶと思います(アマゾンなどでも注文できるようになるはずです)。

編者の先生方の論考はもちろん、他の執筆者の論考も、興味深いものばかりです。見方によっては「かなりディープな本」ではありますが、ひるむことなく(?)、是非、一度、手に取ってみて下さい。