2011年5月18日

福島第一原発は、果たしてエネルギーを生産したのか?

昨日、「もったいない学会」のシンポジウム@東京大学本郷キャンパスに参加。シンポジウムの前に開催された、理事会、その後の総会を経て、なにやら「理事」という大役を仰せつかることになったというおまけ付き。

もったいない学会理事としても、自身の活動の一環としても、今後しばらく地方の政策担当者(政策立案の任を負っている地方議員さんや政策実施の任を負っている地方行政に携わるお役所の方など)と仕事をしてみたいと願っている。

まずは、地元の名古屋、長久手あたりで、研究者・科学者と地方の政策担当者との対話を行えるようなシンポジウムを企画したいと思っている。お手伝い頂ける方がいらっしゃったら、是非、ご連絡を。

昨日のシンポジウムで印象に残った言葉。もったいない学会会長の石井吉徳先生(東京大学名誉教授、元国立環境研究所所長)によるもの。

「果たして、福島第一原発は、エネルギー収支比(EPR)の視点から見て、全体としてエネルギーを生産したと言えるのか。かなり疑わしいと思っている。」

ここで問題としているのは、「マネー的な収支」、「マネー的な便益」のことではない。そうではなくて、「エネルギー的収支」の問題である。


上の図にあるように、エネルギーを自然界から取り出すには(原発の場合、電力として人間が利用形に変換するまでの様々なプロセスにおいても=Eout)、エネルギーが必要(Ein)である。

様々な試算がある中、事故もなく、最終処分として地下に埋めて終わり、というモデルを採用していても、必要なエネルギー「1」に対して、取り出せるエネルギーは「約17」という試算も出されている。つまり、EPR=17ということである。

しかし、今回、残念なことに福島第一原発は、深刻な事故を伴うことになった。この事故の収束のためには、想定されていないエネルギーが必要となっている。避難を余儀なくされている方々の精神的苦痛などは想像に余るものがあり、単純にエネルギーに換算できないが、その問題についてはとりあえず考慮しないことにしよう。

彼らが避難を余儀なくされることで、移動のためにもエネルギーが必要となっているし、仮設住宅の建設などなどでもエネルギーが必要となる。「冷やす」、「閉じ込める」過程において、従来のモデルが想定していない膨大なエネルギーが費やされている。

これから、安全に廃炉にまで持っていき、核廃棄物を処理するためにもエネルギーが必要だ。

そうしたエネルギーを考慮に入れた場合、果たして、福島第一原発は、「エネルギーを生み出した」と言えるのかというのが、石井会長の感想だ。むしろ、「生み出したエネルギー以上のエネルギーが使われてしまうことになるのでは(既に使われているのでは)」という問題提起である。

ともすると、エネルギー論は「量」や「経済的コスト」を中心とした議論が横行しているが、「エネルギー的コスト」を冷徹に見つめる視点は極めて重要である。

これを機会に、「エネルギー的コスト」の問題、EPRの社会科学的意味を踏まえたエネルギー政策論が展開されていくことを期待している。