2011年12月30日

クアラルンプール:2011年暮れ

マレーシアのイスラームについてわかろうと努力している。正直、まだ、つかみきれていない。インタビューによると、最近では、中華系の人のイスラームへの改宗事例も増えているそうだ。いずれにせよ、これまで見てきたアラブ世界とはやっぱり違いそうだ。何がどう違い、何がどう同じで、現代的なコミュニケーションツールはそのことにどう寄与しているのか。引き続き、調査が必要だ。

そんな中、午後がぽっかりと空いたので、イスラーム美術館や若者の街ブキッビンタンなどを訪れた。昔はなかったようなショッピングモールなどが次々とオープンし、街は活気づいているのだが、同時に日本でも嫌というほど体験している消費文化に一気に飲み込まれているようにも見える。

この街も、年月とともに変わってきているのだ。ただ、このままだとどこにでもあるつまらない街になってしまいそうな予感もあり、ちょっぴり寂しい気もする。マレーシアは、どんな未来を迎えようとしているのだろうか。









2011年12月26日

高層建築時代の終わりの始まり

マレーシアの首都クアラルンプールにいる。夏にも訪問したので、今年2度目だ。はじめてこの街を訪れたのは、確か1998年のこと。会議の席上で、マハティール首相(当時)のアジア構想について、彼のアドバイザーを務めていた先生からレクチャーを受けたことをよく覚えている。

当時のマレーシアには、これから一気に成長を遂げようとする国が持つ独特の空気感があった。都市の再開発がいたるところで始まっていたし、空港や鉄道などのインフラ整備に力を注いでいた。

まだ、それほど高層建築が立ち並んでいなかったクアラルンプールだったが、ランドマークとなる建物はちらほらとあった。そんな中、圧倒的な存在感を放っていたのは、なんといっても「ペトロナス・ツインタワー」だ。そして、その地位は今も揺るがない。建築デザインとして、世界の中でも美しい建造物の1つだと言えるだろう(個人的には、好きな建築物トップ5に入る)。


滞在中のホテルからこのツインタワーまですぐ近くということで、久しぶりに行ってみた。相変わらず美しいが、はじめて見た1998年当時と違って、今はやや複雑な思いでこの建造物を眺めている。

国際エネルギー機関(IEA)が報告書で指摘しているように、在来型石油の産出ピークが2006年に訪れたのだとすると、これから先は石油の減耗期に突入するということになる。高層建築は、この石油時代を背景に20世紀的な都市計画が到達した1つの解答であったが、これからの時代には通用しないだろう。

都市計画に携わる人々は、行政も建築家もデベロッパーも、(都市中心部の大規模開発となると)恐らく未だに高層建築以外の解答を知らない(採算性、経済性という制約を無視するのならば多くのアイデアがあるのだろうが、現実的な選択肢になり得ていないという意味で)。感度の高い建築家の中には、20世紀的な高層建築に面白みを感じられず、「何かが違う」と思っている人は少なくないと推測するが、そんな彼らもオルタナティブを提示するところまで、次の時代のビジョンを描き切れていない。

次の時代は、エネルギー的に、大都市も高層建築も許してはくれなくなる。早晩そのことは顕在化することになるだろう。「ペトロナス・ツインタワー」的な時代は、確実に終わろうとしているのである(ペトロナス自身が、マレーシアの国営石油会社だというのもなんとも皮肉である)。


2011年も残り少なくなったクアラルンプールを歩いていて感じるのは、この国を私がはじめて訪れた1998年当時の設計図を忠実に実行していったのだなということだ。空港も、首都建設も、空港と首都とを結ぶ高速鉄道も、その中間地点に「人工的」に作ったITパークも完成した。しかし、そこで止まってしまっては、この街もこの国も失速してしまうだろう。少なくとも、20世紀に描いた設計図の延長線上に、これからの未来はない。

ツインタワーの示している「高層建築」という解以外の解を見つけ出す。これからの都市計画家であり、建築家であろうとする者にとっては、避けて通ることのできない宿題である。

2011年12月10日

民衆デモの真因

マイケル・ハートとアントニオ・ネグリの以下の論考が興味深かった。

Michael Hardt and Antonio Negri, "The Fight for 'Real Democracy' at the Heart of Occupy Wall Street," Foreign Affairs, 2011.

2011年以降発生している民衆デモの真因は、「代表システム」の機能不全であり、ひいては現代の議会制民主主義への疑義の投げかけとなっているのではないか、という。

カイロ、マドリード、ロンドン、アテネ、イスラエル、そしてウォール街まで、一連の動きを大きな括りでとらえるならば、そこにはわれわれが到達した政治システムの機能不全への異議申し立てという共通項が現れるということが示唆されている。

この動きを現実のものとした背景は様々であるが、ツールとしてのソーシャルメディアの発展と成熟は大きな要素だったのではないだろうか。今、このあたりの議論を、整理しているところだ。いずれにせよ、この動きも、1つの時代の終わりの始まり、として捉える必要があるだろう。

2011年11月12日

ソーシャルメディアと政治変動の国際比較

この週末は、つくばの国際会議場にて日本国際政治学会の年次研究大会が開催されています。

今朝(土曜日)は、「ソーシャルメディアと政治変動の国際比較」というセッションで報告をさせていただきました。

------------------------------------------------

部会 9 ソーシャルメディアと政治変動の国際比較

司会 中山俊宏(青山学院大学)

報告
前嶋和弘(文教大学)「アメリカの政治過程におけるソーシャルメディア―ティーパーティ運動と『インターネット・フリーダム』をめぐって」
山本達也(名古屋商科大学)「アラブ諸国における政治変動とソーシャルメディア」
阿古智子(早稲田大学)「ネット世論の高まりに見る中国の『民主』」

討論 土屋大洋(慶應義塾大学)

------------------------------------------------

アメリカのケースも中国のケースも、関心があったものの詳しくフォローできていたわけではなかったので、それぞれの専門家からのお話を聞けて大変勉強になりました。

討論者の土屋先生からも、本質的な質問をいただき、この問題をじっくりと考えるいい機会となりました。フロアの先生方からも数多くの質問をいただき、国際政治学会的には「マニア」なテーマであるにもかかわらず、関心の高さにびっくり(そもそも、朝からこのセッションに足を運んでくれる方々は、ある意味「マニア」なのかもしれませんが……)。

セッション最中には、ツイッター経由でも質問が。ソーシャルメディアのセッションらしい展開となりました。おそらく、ツイッター経由での質問と回答という試みは、国際政治学会始まって以来のことだったのではないかと思います。

それにしても、国際政治学会で、こうしたテーマで部会のセッションが企画されるとは驚きです。研究分野として認知度が上がっているということでしょうか。時代の変化を感じます。

2011年10月6日

「アラブ新時代」の到来とソーシャルメディア

2011年10月号の三田評論に以下の論考が掲載されました。そういえば、この原稿は、ニュージーランドで書いていたのだった……と、8月の南半球をしばし思い出してしまいました。寒かったなぁ。。。

「『アラブ新時代』の到来とソーシャルメディア」『三田評論』第1149号(2011年10月号)、2011年、28-33頁。

2011年8月26日

IIUM


冬のニュージーランドを離れ、夏の(常夏の?)クアラルンプールにやってきた。マレーシアにおける「イスラームとインターネット」に関する調査を行うためだ。

到着翌日、早速、IIUM(International Islamic University Malaysia)を訪問する。KLの街中からはちょっと遠い。電車で終点まで行き、そこからまたバスに乗らなくてはいけない。多くの学生は、オンキャンパスに住んでいたり、この近くに住んで車やバイクなどで通っているという。

この大学は、マレーシアにいくつかあるイスラーム研究が出来る大学のうちの一つである。留学生も多く、国際色豊かだ。ほとんどの学生はムスリムだが、一部非ムスリムもいるという。

それにしてもキャンパスが広い。キャンパス内には、教職員や学生が利用できる「チャイルド・ケア・センター」がある。子供がいても研究・教育・勉強に打ち込めるというわけだ。こういった感覚は、欧米の大学に近いものがありそうだ。自分に子供が出来てから、子育て環境には敏感になった。その意味では、日本の平均的な大学よりも、こちらの大学の方が数段子供フレンドリーだ。ちょっぴり、うらやましい。


図書館も見学させてもらったが、アラビヤ語の書籍も含めてかなり充実している印象を受けた。もちろん、キャンパス内はwifiコネクションが整備されていて、大学のどこにいてもインターネットにはアクセスできる。

この大学を案内してくれたのは、私のアラブ人の友人だが、大学環境が整備されているのがうらやましいと、自国(シリア)と比較してため息をついていた。「いつかシリアもこのレベルになれば。。。」とも。

これまで、アラブ圏のイスラーム研究者と議論する機会がほとんどだったが、東南アジアのイスラーム研究者との対話は、また新たな視点を与えてくれ面白い。アラブ圏は、ある意味「モノ・カルチャー」社会の中でのイスラームであるが、マレーシアでは「多文化社会」の中でのイスラームという視点がいたるとことで垣間見られる(会話の中で)。

この国でも、アラブ圏にイスラーム研究のために留学する学生は多いが、アラブでの経験や学んだことを、そのままマレーシアに適用させるのは多少無理がありそうな印象を受けた。こちらの社会の文脈である種の「翻訳」をして、この社会の中で学んだ知識を活かしながら日々の活動を行っていくことが重要なのだろう。

最近では、中国系のマレーシア人の中にも、仏教からイスラームに改宗する人が増えているという。インド系の人にもヒンズー教からの改宗者がいるという。公共スペースでイスラームについて語ることが以前に比べて増えているし、容易になってきたとも教えてもらった。東南アジアのイスラームについて、もう少し本腰を入れて学んでみたい。今回の訪問は、いいスタートになりそうだ。

2011年8月22日

緑地の価値

クライストチャーチにやってきた。街の中心部は、地震の影響で入れない。一面、フェンスで囲まれている。なんとも、痛ましい姿だ。石造りの教会なども、(崩れ落ちないように)補強がしてあり、周りはフェンスで囲まれている。地震の爪痕は、街のいたるところに残っている。

それでも街は動いている。人々は生活をしている。旅をすると、決まって地元の人に人気のある(ないしはありそうな)カフェを訪れ、その街の空気を感じるようにしている。もちろん、その街に住んでいるわけではないので、「ここは!」と思って入ったカフェが「あんまり……」だったりすることもあるが、最近は嗅覚が鋭くなってきたのか極めて「当たり」が多い。今朝の朝食を食べたカフェも「当たり」だった。


「ガーデンシティ」の愛称もあるクライストチャーチには公園が多い。街に緑地が多いのである。その中でもひときわ大きく有名なのが「ハグレー公園」(Hagley Park)だ。宿が、この公園のすぐ脇にあることもあって、散歩はこの広大な公園の中。家族でゆっくりと、そして冬の澄んだ空気と穏やかな日差しを浴びながらの散歩は気持ちが良い。


これからの都市の魅力を決める指標の一つに「緑化度」というのがあるかもしれない。もっとも、石油減耗の影響をもろに受けるようになると、かつてのキューバのように街の空き地という空き地は畑に変換され、イヤでも緑化度は上がるかもしれない。でも、今すでに、ある程度の緑化度を誇る都市には、やはりそれなりの魅力があると思う。

これからは、エンターテイメントのあり方も大きく変化することになるだろう。端的には、お金とエネルギーをかけずに楽しめるエンターテイメントへのアクセスをどれほど持っているのかということになる。ディズニーランド的なエンターテイメントは、はやらなくなるし、ああいったエネルギー浪費型のものは維持することも困難になるだろう。

その点、街中の公園や緑地はすぐれた資産だ。散歩はタダだし、他の散歩をしている人とのコミュニケーションも楽しい。すぐそばに、海があってマリンスポーツを楽しめる、というのもいいだろう。その都市の立地と周囲の自然環境は、やはり重要だと思う。

街の規模も重要だろう。あまりにも大都市ではいけない。おそらく、東京のようなメガロポリスの時代はもう終わったのだ。やがて多くの人がそのことに自覚的になり、メガロポリスを離れる人の数は、今後ますます増え続けるに違いない。大都市には、そこでもやっていくことの出来る人と、脱出できずにとどまらざるを得なかった人という形で、二極化した人々が残ることになるのかもしれない。

いずれにせよ、今はやっている都市が次の時代も引き続きその魅力を維持し続けるには課題が多い。そういう都市もあるだろうが、それほど数は多くないだろう。むしろ、今は全く注目されていないが「次世代的にはオモシロイ」という都市が新たに興隆してくることになるのではあるまいか。そんなことをとりとめもなく考えつつ、豊かな公園の緑地を思いっきり満喫した午前中だった。



2011年8月16日

Boat Shed Cafe


ニュージーランドでの目的地は南島の北端にある人口5万人程度の街ネルソン。ニュージーランドにおける石油ピークの研究組織ASPO-NZの本部がある街だ。近隣の郊外農村部と市街地とをパーマカルチャーの理論に沿ってデザインしようともしている。

確かに、この規模の街にしては、都会的だ。街の中心部にあるお店にも都会的センスを感じさせるものが多い。そして、オーガニックに関する関心が高いのも、ただの田舎町ではないという雰囲気作りに一役買っている。

晴天率もニュージーランド随一だといい、「サニー・ネルソン」という愛称で親しまれている。地理的条件と気候は、持ち運ぶことができない。これからの時代、その都市の魅力を左右する大きな要因は、周辺の自然の状況と気候条件だろう。暑すぎても寒すぎてもいけない。年間を通して、(エネルギーに過度に頼らなくても)人間が快適に過ごせる気候が望ましい。その点、ネルソンは、なかなか恵まれていると言えそうである。

こういう街は、移住者を惹きつける。才能を持った人々が、引き寄せられるように集まる。そして、彼らがまた街の魅力を上げていく。こうした正のループができあがると、これからの時代にオモシロイ都市ということになるだろう。

だから、こういう街には、都会的センスと地域の自然の恵みを活かしたような素敵なレストランも多い。中でも、(おそらく)ネルソン随一のレストランは、今日のブランチを楽しんだ「Boat Shed Cafe」だろう。たまたま、今借りているアパートの大家さんの息子さんがオーナーシェフをやっている。

オーダーしたのは、「シェフのお任せコース」。地元のシーフード主体の料理はどれも絶品だった。ニュージーランドの中でも、コーヒーを美味しく飲ませてくれる店だとも思う。なによりも、景色が最高だ。

魅力ある人々を惹きつける都市。最近の研究テーマの中心をなすものだ。実際に、いろいろな都市を訪れ、(擬似的にでも)居住体験をして、自分の体でその要素を導き出し、納得できる結論を理論化してみたい。





2011年8月14日

「常識」の相対化


ニュージーランドにいる。初めての国だ。南半球に来るのは人生で2度目。実は、初めての海外は南半球だった。14歳の夏だった。初めて見た、オーストラリアの広大な空とあまりにも青い色に感動したものだ。

あれから20年以上。いろいろな国を旅したが、考えてみるとどの国も北半球に位置していた。飛行機で移動することで不思議な感覚を味わうのは大抵「時差」だった。日本を夕方に飛び立ち、アメリカに朝到着する。でも、日付は、飛び立った夕方のまま。初めて味わったときは、不思議な感覚だった(その後、時差ぼけにしばらく悩まされた)。

冬の寒い中、日本を飛び立って、東南アジアに行くとそこは夏。半袖と短パンで街を歩き、建物の中は効き過ぎなくらい冷房がついている。これもこれで不思議な感覚だった。

オセアニアに来ると、「時差」はほとんどない。ニュージーランドでも、日本との時差は3時間だ。時差は、一日単位での「ずれ」だが、南半球では半年単位でずれることになる。季節が逆になるためだ。日本のニュースをネットで見ると、「熱中症」という文字が目に入ってくるが、こちらは冬。日向は暖かいが、夜などはかなり冷え込む。早朝、レンタカーのフロントガラスに霜が降りていた。

旅の醍醐味は、日常生活で染みついた「常識」がもろくも崩れ去ることではないだろうか。少なくとも、自分自身はそんな感覚が好きで、旅を続けているようなところがある。8月は「暑い」という常識は、ここでは通用しない。「常識」を捨て去り、相対化して自分自身を見つめてみると、本当に大切なものなどが浮き上がってくる。

もうしばらく、ニュージーランドに滞在する予定である。8月の南半球を満喫しよう。





2011年7月27日

風力発電のポテンシャル

先日、もったいない学会のサロン(定例研究会)で風力発電に関する報告を聞いた。報告者は、林農先生(鳥取大学名誉教授)。長年、風力発電の研究と普及に尽力されてきた林先生ならではの、風力発電に関する愛情や熱意が垣間見られる報告だった。

これまでもったいない学会が主に参照してきた風力発電のEPR(Energy Profit Ratio:エネルギー利益率)は、天野治先生(元電力中央研究所)の試算であり、その結果は5以下程度と「文明を支える」にあたってはいささか心許ない数値であった(文明を支えるためには、最低でも10程度以上のEPRは欲しいところだ)。

今回の報告では、報告者の林先生が実際に関わったプロジェクトである鳥取県北栄町の「北上砂丘風力発電所」(1500kw×9基)という実際に稼働している風力発電をベースに試算されたものだ。

結果は、これまでの通説(理論上の計算値)よりもかなり高く、EPR=11.5(使用年数15年)、EPR=14.9(使用年数20年)、EPR=21.3(使用年数30年)というものであった。電力会社との契約の関係上、現状では15年というのが実稼働期間だそうだが、装置そのものは15年以上持つものと思われる。

稼働期間が長くなればなるほど、そして、出力が大きくなればなるほど、風力発電のEPRは向上するという結果が得られた。これをどのように活かすのかは、政策的な問題である。

かつて風力発電の問題の1つとされていた「騒音問題」は、歯車の音と風切り音によって生じていたが、現在では2つとも問題は解消されており、騒音は問題とはならなくなったという。

むしろ問題として引き続き残っているのは「低周波騒音」(騒音というよりは振動か?)であり、この人体への影響は、かなり個体差があることが知られている。

今回の東日本大震災でも、設備としての風力発電の機能障害はゼロであったが、(自らが風力で発電する電力ではなく)商用電源によってオペレーションが行われているため、従来の送電網が停電してしまったことで、風力発電の発電も止まってしまったという。このあたりは、今後の課題として検討されるべき問題だろう。

いずれにせよ実際に稼働している風力発電からのEPRが実際に計算され、その数値がこれまでの通説よりもかなり高いものであるということは特筆に値する。風力発電のポテンシャルを感じさせる。

2011年6月29日

コプト教徒の食事規定

昨日の研究会では、エジプトにおけるコプト教徒についての発表を聞いた。歴史的な背景も含め、私のように内実がよくわかっていない人にとっても、全体像をつかむことのできる大変勉強になる報告だった。

報告の中で、コプト教徒は断食(それも年間5回で計165日も!)をしているということを初めて知った。ただしこの場合の断食は、イスラームにおけるラマダーンのような形(ラマダーン月に日の出から日没まで断食をする)というのとは形態が異なる。

どうやら、初期キリスト教が持っていた食事規定に則るような形で、たとえば「動物性蛋白質」を摂らない、などの形で断食をするのだそうだ。断食というよりは、食事規定という方が近いかもしれない。

多くの宗教が、なんらかの食事規定を設けているのは実に興味深い。その当時と今とでは、食料の生産原理が決定的に異なる。現代人は、石油をふんだんに投入し、いわば「工業的農産法」によって大量の食べ物を確保している。これは、石油というエネルギー源が、社会で広く使われている時代でなければ不可能な方法である。

1つの試算によると、現代的な食料生産では、食物1キロカロリーを得るために、約10キロカロリー分の石油を投入しているという。食肉生産は、そうしてとれた穀物を家畜に与えることで成り立っている。そうでなければ、現代ほど大量の「余剰食肉」が社会に出回るはずがない。つまり、今ほど「動物性食品」が巷にあふれている社会は、人類史の中で考えると極めて特殊な状況だということである。

石油を食料生産に用いることができなかった時代においては、「動物性食品」は貴重であったはずである。そして、多くの宗教が、その「動物性食品」とのつきあい方について言及しているのは興味深い。化石燃料を大量投入できない時代における、人間の食のあり方に関する「智慧」が刻み込まれているような気がしてならない。

そして、我々はまもなく「エネルギーの減耗期」に突入しようとしている。「衣・食・住」のプライオリティを考えると、「食」が最も重要である。かつての宗教の教義の中には、「エネルギー減耗期」を生きることになる現代人への示唆が含まれているような気がしてならない。

現代でも続いているコプト教徒の「断食話」を聞いて、そんなことを考えた夜だった。

『アラブ諸国の情報統制』増刷決定


山本達也『アラブ諸国の情報統制:インターネット・コントロールの政治学』慶應義塾大学出版会、2008年。

上の著書の増刷(二刷)が決まったというご連絡を出版社の方から頂きました。ありがたいことです。


2011年に入ってから中東では多くの国で政治的な変化・変動を経験していますが、きっかけとなったチュニジアでもエジプトでもICTの発展と普及、そしてICTを利用したソーシャル・メディアが「革命劇」において重要な役割を果たしたと考えられています。

この著作が出版された2008年当時は、中東でも今のような形でソーシャル・メディアが広く普及しているという状況にはなかったため、本の中では今回の政治変動のメカニズムについて直接的な分析は行っていませんが、情報化が進展することによる「政府側の懸念とその政策的対応(インターネット・コントロール)」について主に論じています。

本書の着想は、2002年から滞在していたシリアでの経験から得たものです。当時から、様々な形でアラブ諸国の政治動向についての研究は行われていましたが、この先、大きな動きがあるとするならば、その時はインターネットや携帯電話に代表される「新しいICT」が重要な役割を果たすに違いないという思いから研究を続け、まとめたのが本書です。

本書の中で、当時の政府側とその規制をくぐり抜けようとする市民たちとの攻防の様子を分析し、「短期的には政権側が有利な構造があり、ただちに変化を及ぼすということは考えにくいが、中・長期的には大きな変化につながるかもしれない」という趣旨の記述をしました。フェースブックやツイッターなどの急速な普及によって、その「中・長期的展望に関する予測」が現実のものとなったのが、2011年だったのではないかと思っています。

本書が、今、中東で何が起こっているのか、情報化進展の背景にはどのような要素が絡んでいたのかなどを知る手がかりを提供できればと願っています。


ちなみに、以下のコラムでは、今回発現したようなメカニズムで政治変動が起きる可能性を指摘しています。このコラムでの「懸念」が現実のものとなったのが今だったのではないかと思っています。

山本達也「ケータイで群衆化するアラブの若者:「反イスラエル」ではない新しいデモの形」(JB Press、2009年7月8日)


また、革命後に書いた同様のメカニズムの説明としては、以下のコラムもあわせてご参照頂ければと思います。

Tatsuya Yamamoto, "The Mechanism behind the Egyptian ICT Revolution and Its Connotations"(The Tokyo Foundation、2011年3月2日)

2011年6月24日

グリーン経済か、パーマカルチャーか?


3.11以降、再生可能エネルギーに関する議論が白熱している。とはいえ、「再生可能エネルギー推進論者」には大きく分けると2つのタイプがある。決して一枚岩ではないのである。そのため、議論がいまいちかみ合わない。

一体、2つの異なるタイプとはどのようなものなのか、なぜ、どのように異なるのか。理解のためのキーワードは、「エントロピーの法則」および「EPR」(Energy Profit Ratio)である。

そして、未来に対する4つの異なるシナリオと、その信奉者たちをカテゴライズすることでも、主張の違いが見えてくる。

そんなことを考えながら、執筆したコラムがShiftMにて公開されました。

グリーン経済か、パーマカルチャーか?」(ShiftM、2011年6月13日)

歩み寄れそうで歩み寄れない、反主流派たちの「不幸な断絶」を乗り越え、建設的な対話がはじまることを願っています。

2011年6月23日

イスラームの豊かさを考える


共著書籍の見本が届きました。

奥田敦・中田考編『イスラームの豊かさを考える』丸善出版、2011年。

私が担当したのは、「文明論と豊かさ」という視点からの検討で、第9章「文明論的視点から見たイスラーム的豊かさ論の不可避性」を執筆しました。

「文明とは突き詰めれば『余剰エネルギー』のことである。」という書き出しで、「エネルギー論」の視点から現代文明を論じ、現状を維持し続けることは困難な状況にあることを「石油ピーク論」をベースに説き起こしています。

つまり、今は、「文明論的にみても大転換期にある」ということです。ここまでは、多くの論者が指摘するところではありますが、「では、それに代わるものは?」という質問に対しては、ほとんどの論者が黙ってしまいます。

この研究プロジェクトでは、この点「イスラーム的な豊かさ論」に着目しながら、検討を重ねてきました。

まだまだ議論の端緒という段階ではありますが、イスラームが有している「智の体系」の中に、「次の時代」が隠れているのではないか、そのことを自覚的に掘り下げていくことこそ、今、イスラーム研究者に求められている課題ではないのか、という問題提起を行いました。

発売は、もう少し先で、おそらく7月頭には、書店にも並ぶと思います(アマゾンなどでも注文できるようになるはずです)。

編者の先生方の論考はもちろん、他の執筆者の論考も、興味深いものばかりです。見方によっては「かなりディープな本」ではありますが、ひるむことなく(?)、是非、一度、手に取ってみて下さい。

2011年5月18日

福島第一原発は、果たしてエネルギーを生産したのか?

昨日、「もったいない学会」のシンポジウム@東京大学本郷キャンパスに参加。シンポジウムの前に開催された、理事会、その後の総会を経て、なにやら「理事」という大役を仰せつかることになったというおまけ付き。

もったいない学会理事としても、自身の活動の一環としても、今後しばらく地方の政策担当者(政策立案の任を負っている地方議員さんや政策実施の任を負っている地方行政に携わるお役所の方など)と仕事をしてみたいと願っている。

まずは、地元の名古屋、長久手あたりで、研究者・科学者と地方の政策担当者との対話を行えるようなシンポジウムを企画したいと思っている。お手伝い頂ける方がいらっしゃったら、是非、ご連絡を。

昨日のシンポジウムで印象に残った言葉。もったいない学会会長の石井吉徳先生(東京大学名誉教授、元国立環境研究所所長)によるもの。

「果たして、福島第一原発は、エネルギー収支比(EPR)の視点から見て、全体としてエネルギーを生産したと言えるのか。かなり疑わしいと思っている。」

ここで問題としているのは、「マネー的な収支」、「マネー的な便益」のことではない。そうではなくて、「エネルギー的収支」の問題である。


上の図にあるように、エネルギーを自然界から取り出すには(原発の場合、電力として人間が利用形に変換するまでの様々なプロセスにおいても=Eout)、エネルギーが必要(Ein)である。

様々な試算がある中、事故もなく、最終処分として地下に埋めて終わり、というモデルを採用していても、必要なエネルギー「1」に対して、取り出せるエネルギーは「約17」という試算も出されている。つまり、EPR=17ということである。

しかし、今回、残念なことに福島第一原発は、深刻な事故を伴うことになった。この事故の収束のためには、想定されていないエネルギーが必要となっている。避難を余儀なくされている方々の精神的苦痛などは想像に余るものがあり、単純にエネルギーに換算できないが、その問題についてはとりあえず考慮しないことにしよう。

彼らが避難を余儀なくされることで、移動のためにもエネルギーが必要となっているし、仮設住宅の建設などなどでもエネルギーが必要となる。「冷やす」、「閉じ込める」過程において、従来のモデルが想定していない膨大なエネルギーが費やされている。

これから、安全に廃炉にまで持っていき、核廃棄物を処理するためにもエネルギーが必要だ。

そうしたエネルギーを考慮に入れた場合、果たして、福島第一原発は、「エネルギーを生み出した」と言えるのかというのが、石井会長の感想だ。むしろ、「生み出したエネルギー以上のエネルギーが使われてしまうことになるのでは(既に使われているのでは)」という問題提起である。

ともすると、エネルギー論は「量」や「経済的コスト」を中心とした議論が横行しているが、「エネルギー的コスト」を冷徹に見つめる視点は極めて重要である。

これを機会に、「エネルギー的コスト」の問題、EPRの社会科学的意味を踏まえたエネルギー政策論が展開されていくことを期待している。

2011年5月10日

国家の衰退と都市の復権か?




石油ピーク後の(石油減耗期の)国際社会は、どのような構造によって理解されることになるのだろうか。

何が現在の形のグローバル化を促進させてきたのかという点に関しては、様々な見解が示されている。根底には、情報通信技術の飛躍的進歩があると論じる学者もいる(アンソニー・ギデンズなど)。確かに、情報通信技術の飛躍的進歩無くしては、現在の国際社会の姿を形成することはできなかっただろう。

こうしたICTの視点と並んで、もう一つ根底に流れているものはエネルギーである。ニューヨークタイムズのコラムニストであるトーマス・フリードマンは、『フラット化する世界』において、グローバル化を3つの段階で捉えている。

第1段階は、コロンブスが「新大陸」にたどり着いた1492年から1800年頃までの期間だという。この時代に重要な技術は航海術であるが、主なエネルギー源は「風」であり、主役は「帆船」であった。

第2段階は、1800年頃から2000年頃までだと言うが、この時代になって主要なエネルギー源として「石炭」が採用されるようになった。そして、第2次世界大戦後には、世界中で「石油」がその地位に取って代わった。

相変わらず「海の技術」(シーパワー)は重要であったが、初期の頃は蒸気船が、その後、石油で動く現代型の船舶が主役となった。また、「空の技術」(エアーパワー)の重要度も増した。飛行機は、その初期段階から石油を燃料としてきた。

こうしたエネルギーに裏打ちされた技術は、グローバル化を促進させたが、石油減耗期にはその姿を変える可能性がある。むしろ、変わらざるを得なくなるだろう。

過去数百年間にわたって、国際社会の主役を務めてきた近代国民国家が主役の座を降りなくてはならない事態も現実味を帯びてきた。その後の国際社会での主要アクターは、「都市」ないしは「地域コミュニティ」になる可能性が高いと考えている。

都市は、化石燃料時代が始まる遙か前から形成されてきた。近代国民国家は、エネルギー論的には化石燃料の申し子でもある。都市の方が、明らかに存続のための「地力」を持っている。歴史を耐え抜いてきた実績もある。

そうなると、国家の衰退と都市の復権は、次の時代のトレンドになるのではないだろうか。そんな予感を持っている。その時の国際社会の構造上の特徴は「極」によるシステムではなく、「ネットワーク型」のシステムになるのではないだろうか。


そんなことを考えつつ荒削りな試論を提示したコラムが公開されました。

国家の衰退と都市の復権か?」(ShiftM、2011年5月4日)


いずれにせよ、「新しいプログラミング」は不可避なのではないか、と考えています。

2011年5月9日

『ハヤート』座談会

実に久しぶりに古巣のKEIO-SFCに行ってきた。なつかしい。自分にとって、大学のキャンパスと言えばあの場所のあの雰囲気なんだなぁと再確認。体に染みついたものは、なかなか抜けないものだ。

用件は、SFCでイスラーム研究を行っている奥田研究室が発行しているフリーペーパー『ハヤート』に収録するための座談会に出席すること。メインテーマは、最近の中東情勢について。日本人の研究者だけでなく、アラブからの研究者も交えての座談会ということでなかなか新鮮な体験だった。

チュニジアから始まった一連の政変、デモだが、それぞれのお国柄が様々な形で反映されているのが興味深い。トップの資質や、民衆のトップへの感情などが、デモの動員状況やその後の展開に少なからず影響を与えているのではないかと、話をしつつ感じた。

たとえば、辞任に追い込まれたムバラク大統領はエジプト人に嫌われていたが、今まさにデモの佳境にあるシリアの場合、実はバッシャール・アサド大統領自身は、それほど「嫌われている」というわけではない。同様にヨルダンのアブドッラー国王も、「嫌われている」ということではない。

「トップを引きずり下ろせ」という目標はわかりやすいし、民衆を結集させるだけのアピール力を持つ。だが、「トップはともかく、周りを変えろ」とか「システムの改革を!」というのは、結集力の源泉としては、個人差もかなり出てくるため、弱いところがあるだろう。

さらに言えば、これまでの「準備状況」も、デモの展開に影響を与えているのではないかと感じられる。エジプトの場合、2011年になってから突然始まったわけではなく、試みの発端は少なくとも2004年くらいから盛り上がってきた「キファーヤ運動」にまでさかのぼって考えることができるだろう。

座談会では、奥田研究室らしく、「表面的なイスラーム要因」ではなく、かなり「深いレベルでのイスラーム要因」が与える影響や今後の展開などに話が進んだのも面白かった。勉強になりました。

詳細は、次号の『ハヤート』をご参照ください。

2011年4月24日

ブログの引っ越し

ブログをこちらのサイトに引っ越しました。

過去のブログは、以下のサイトからどうぞ。
http://www.tatsuyayamamoto.com/tyblog/