2014年12月22日

スマホ時代の処世術

「スマホかガラケーか」という論争(?)を身近なところで聞くことがある。というか、そういった話を飲みながら友人たちと語り合ったこともある。

最近思うのは、スマホ(Smartphone)というネーミングが議論をややこしくしているのではないかということだ。「phone」とついているから、あれを電話だと認識しがちだが、あれは電話ではなくコンピュータだと捉えた方が実態に即している。

つまり、スマホとは「電話も出来るコンピュータ」という認識である。スマホを導入するか否かは、「その人のライフスタイルに、ハンディサイズのコンピュータが必要か、それを欲しているか」ということで決めたらよいのではないだろうか。

技術は社会を変える。そして、特定の技術は社会を劇的に変化させる。モバイル・コンピュータであるスマホは、そんな技術の1つかもしれない。

スマホ時代とは一体どんな時代なのか。そして、スマホ時代の社会にはどんな変化が起きているのか(良い面も悪い面も)。スマホ時代のライフスタイル、ライフデザインは、何をどう考えていけばいいのか。

そんなことを考えてみようという1日講座が、以下の要領で開催されます。今回は1日講座ですが、来年の春には3回完結(全3回)拡大バージョンの講座も予定されています。今回の1日講座は、予告編のような位置づけです。

一緒に、スマホ時代に何が起きているのか、この時代をどうやって生きるのか、考えてみませんか?



講座タイトル:スマホ時代の処世術
日時:2015年1月24日(土曜日) 10:40〜12:10 *要予約*
場所:清泉女子大学 1号館4階140教室(予定)
申し込み方法:清泉ラファエラアカデミアの1日講座のページを参照。



2014年11月17日

革命と騒乱のエジプト:ソーシャルメディアとピーク・オイルの政治学

ずっと放置してきたブログだけど、昨日久しぶりに雑文を書いたので、ついでにこの場でも最近の仕事について報告。

今年の夏に、

革命と騒乱のエジプト:ソーシャルメディアとピーク・オイルの政治学』(慶應義塾大学出版会、2014年)

を上梓しました。

周りの方が早速読んでくれ、そして、多くのコメントを頂きました。本当に感謝。そして、読んでくれた人の多くが、内容からすると「メインタイトルとサブタイトルを入れ替えた方が言いたいことが伝わりやすいよね」とコメントしてくれます。

タイトルからすると、一見、「中東本」それも「エジプトのアラブの春の本」という理解をするのが普通ですが、序章にも書いたとおり、この本は2011年以降のエジプトを「対象」として取り扱っていると言うよりは「事例」として取り扱ったものです。そのことで何がしたいかというと、今国際社会で起きていること、これから起きそうなことを、マクロな視点から理解するということ。本書の最後の方は、文明論にまで発展しています。

ありがたいことに、何人もの尊敬する先輩研究者の先生方が、書評を書いてくださいました。本当に有りがたい限りです。残念ながら、タイトルの問題もあって主にコメントを下さるのは中東の研究者の先生方が多いです。少数ながら、国際政治学の先生方からもコメントを頂き、そして割と好意的に読んでくださり、ホッと一息。

SFC出身らしく、未来の話をしているのですが、まあ、未来の話は概して受けが悪いところもあるから、少数でも好意的に評価してくださる先生方がいらっしゃるというのは心強いです。

メディア関係者の方も、この本を読んでくださって、取材頂いたり、原稿執筆の機会を頂いたりしました。

最近では、『エコノミスト』誌に2回寄稿しました。


  • 「原油生産減少は政情不安に:中東・アラブ諸国」『週刊エコノミスト』第92巻第41号、2014年、90頁。
  • 「石油が簡単に掘れる時代の終焉:「在来型」から「非在来型」へ」『週刊エコノミスト』第92巻第48号、2014年、23頁。

その他、講演の機会や勉強会・研究会の話題提供者としての役割をご依頼頂けることもあり、これもまた有りがたい限りです。こういう場では、私の方がむしろ勉強になることが多く、感謝しています。

これまで「中東」の絡みでお声がけ頂くことが多かったのですが、来年あたりから、情報通信技術を国際政治の文脈から、また、国内政治(特に民主主義論)の文脈から、本腰を入れて研究を進めていきたいと思っています。科研費を頂いて進めている「ソーシャルメディア時代の民主主義」というテーマでは、国際政治と国内政治の接合にも注意を払いつつ、21世紀の地球社会を(やや大胆に)理解してみたいと思っています。

講演のご依頼の中には、たまに「テーマ自由。今関心あることを」なんていうことを言ってくださるケースもあり、そんな時には、聴衆の方の属性を考えつつ興味を持ってくれそうだなと思ったら、最近の個人的関心事である情報化時代のライフデザインやライフスタイルについて、特に「デジタルとアナログの間」あたりを意識してお話しすることもあります。これはもう、参加者の方とのやりとりが面白い。

「情報化時代の処世術」。これって、単にデジタル機器を使いこなせ!みたいな時代はとうに終わっていて、人生をめぐる哲学的なテーマとして、この時代に生きる人全員に問いかけられた難問です。

2014年11月16日

ノイズを入れる

今の時代、「わざとノイズを入れる」ことくらい重要なことはない。今の時代とは、「情報化時代」だったり、「インターネット時代」だったり、「デジタル時代」のことを指している。

自分のライフスタイル、そしてライフデザインを考えるにあたって、ここ最近のテーマは、「デジタルとアナログの間」だ。今、本務校の清泉女子大学で「情報化時代の地球社会」という講義を行っているが、全15回のうちの1回、まさに「デジタルとアナログの間」というテーマで講義をしている。

今や、インターネットの内部は、様々な企業が様々な独自アルゴリズムを駆使しながら、みんなのインターネット利用にフィルターをかけてくる。その結果、自分のネットでの傾向(こんなサイトをよくみるとか、こんな商品をよくクリックしているとか、こんな人の意見が好きそうだとか)は、使えば使うほど増幅されていく。

自分の好きなモノ、好むモノばかりがネットでは表示されるようになり、居心地はいいかもしれないが、そういう人生は「ゴムまりの中に閉じ込められた」ようなもので、広がりを失っていくことになりがちだ。

「デジタル世界は玉石混淆、そして、多種多様な意見がゴロゴロと転がっているから、自分の思ってもいなかったものを見つけ、世界が広がっていく」という状況は、ほぼ消え失せてしまったと思った方が良い。この点は、もう何年も前から、優れた研究者たちが繰り返し論じているので、そんなに新しい視点ではない。

私たちは、サイバー世界で生きているわけではなく、極めてアナログなリアル世界で生きている。私たちの魂の乗り物たる身体も超アナログだ。でも、この情報化時代、極端な選択肢としてはあり得るが、アナログだけで生きていくという人は少数派だろう。私の場合、将来的にそうなることも覚悟しているが、今のところデジタルとアナログのバランスをどうとるのか、ということを考え続け、実践してみては、微修正を繰り返している。

今のところ行っていることといえば、まずは「情報ダイエット」。情報太りし頭が肥大化する状態がなんとも気持ち悪く、良質と思える情報に必要最小限触れる努力を続けている。真っ先に切ってしまったのが、ワイドショー的な話題や、新聞の社会面的な情報。たまに実家に帰ると、親にあきれかえられるくらい、この手の話を知らない。そうなって、約5年。今のところ、まだ、普通に社会生活を送れているし、特に困ったこともない。

理解できる言語が限られているため、外国の情報で日常的にアクセスしているのは、イギリス、アメリカのメディアと、中東のメディア。ホントは、ロシアとか、南米のメディアもウォッチしたいけど、それらは他の人の分析記事に頼っている。

良質なテレビ番組は取材力も構成力も優れていると思うから、本当はもっと日常的に接しないといけないとは思いつつ、24時間の配分上、うまく取り込むことが出来ず、結果としてほぼゼロ。損しているな、と思いつつも、可処分時間は有限だから仕方がない。

基本的な考え方は、重要な情報を逃しても、余計なノイズを入れるよりはいい、というもの。情報ダイエットは、「ノイズ」の排除の一環だ。

次にやっているのが、体をできる限りシンプルに保つ工夫。週の半分を大学がある東京で過ごし、残りの半分を家族と松本で過ごしているが、家族で楽しく美味しい食事(基本的には野菜中心)は、松本に帰ったとき。東京では、基本的に玄米、ごま塩、お味噌汁の3点セット。たまに、趣味の野菜料理。調味料にはこだわり、体からも可能な限り「ノイズ」を取り除こうとしている。

こういうノイズは取り除こうとしているが、入れようとしているノイズもある。それは、リアル世界での「偶然性」というノイズ。最近、ランニング+ウォーキングを始めたが、これもノイズを入れるための一環。家からスタートして、なるべく、毎回違うルートを走ったりする。そうすると予期しないことの連続。このノイズが発想を豊かにしてくれそうな実感がある。

金銭的にちょっと苦しくても、旅に出る。わりと行き当たりばったり。日本語も英語も全然通じなかったり。もう、そこは、ノイズだらけ。でも、これが心地よい。

生活の拠点を都会のど真ん中と自然環境豊かなところと2つ構え「デュアルライフ」をトライしているのも、定期的にノイズを入れることに役立っている。

で、こういうことは、いくらこうやってブログで書いても、ピンと来ない人には絶対にピンとこない種類のモノだと思う。逆に、ピンとくる人には、理由もなくピンとくる。ブログはデジタルだけど、私が貪欲に求めているのはアナログなノイズだということも関係しているはず。

さらに、「で、ノイズを入れると何がいいの?」となってくると、もっと説明が難しい。「うん。騙されたと思って、ノイズ入れてみて!」としか言いようがない。ホントは、もっと頑張れば、文章で説明できる気もするけど、今日は頑張れる気分ではないので、ゴメンナサイ。。。

近いうちに、もうちょっとちゃんと学術的な手続きに則って、「21世紀の情報化時代と政治・社会変動」について「覚醒する個人」というキーワードも交えつつ本の形でまとめてみたいという野望も持っている。是非、実現したい。

そういえば、オーガニックモノの製品もいろいろと試したけれど、最近気に入ってよく使っているのが、「ジョン・マスター・オーガニック」だというのも、ちょっとしたノイズが心地いいからかもしれない(ジョン・マスターは100%オーガニックではなく、ちょっとだけケミカルも入っている。でもこのバランスがいい感じで、今のところ気に入っている)。この「ちょっとノイズ」がいいのだけど、なんとも言語化できずもどかしい。

あんまり、というか、ほとんどわからない人には意味不明な文章だけど、今のテーマである「デジタルとアナログの間」を理解して実践するには、あえて「ノイズを入れる」という行為が重要だと思っているということ。ノイズは、生きているっていう実感も与えてくれるしね。当分の間は、「あえてノイズを入れる」ことを目指す日々が続くと思う。

2013年9月11日

Quality of Experience

NZFWの後半戦、舞台は、南島から北島へ。南島の港町ピクトンから、フェリーで首都のウェリントンに移動。

このFWでは、「自然の保護」とは一体何を意味するのか、誰が、どうやって行うのか、「保護」という概念は適切なのか、などなど主にNZの国立公園管理を事例に考えるということも行ってきた。

南島では、実際にトレッキングをしたりシーカヤックをしたり、DOC(Department of Conservation)の現場の方々と、現場を見て、感じて、体験してきた。

ウェリントンでの主な目的は、DOCの本部で政策担当者と「政策レベル」での話を聞き、インタビュー調査を行うこと。「現場レベル」と「政策レベル」両方からこの問題を考えてみようという試みだ。

学生たちが事前に用意して、DOC本部の担当者に送った「質問票」はどれも興味深い論点ばかりだった。特に、富士山が世界遺産に登録されたことで、観光や商業と保護とのバランスなど、日本でも関心が高まっているテーマも含めて、約2時間のディスカッションを楽しんだ。

中でも私が印象に残ったのは「Quality of Experience」という概念。NZは、基本的に「適度に自然の中に人を入れ、その人に自然のすばらしさを体感してもらい、その大切さをわかってもらうことで、保護の意識を高めよう」というアプローチだ。そのためには、自然の中で「素晴らしい」体験をする必要がある。

これが「Quality of Experience」である。「体験の質」を重視するのだ。そのため、トレッキングのトラックを歩く人数を「山小屋」の収容人数との関係で制限したり(70人限定とか)、トレッキングの方向をあえて一方通行にするなどの工夫(前からすれ違う人を気にすることなく自然を堪能できる)をしている。

この種の概念を国立公園管理に取り入れるという意識は、日本では薄いように思われる。自然を体験するだけでなく、その体験の質をどうやったら高められるか、そしてそれが人々の意識変革にどうつながるのかまでを視野に含めたアプローチである。

富士山の山頂でのご来光は確かに素晴らしい体験だが、山頂が人混みで、ガヤガヤした中でのご来光より、人も少なく静かな環境でのご来光の方が感動は大きいだろう。そのためには、「制限」が必要になる。もし制限するならば、誰がどのような基準で「制限」するのかを決めなくてはならない。「商売」や「観光」とのバランスも迫られる。「正解」はない。

このNZFW、学生たちの受け止め方はそれぞれだったのだと思う。でも、どの学生にとっても貴重な体験にはなっただろう。10年後に、20年後に、結婚して子供も産み、家族ができてから、ふと今回のFWを思い出す人がいるかもしれない。その時、世界はどうなっているか、またその学生がどんな生活を送っているかわからないが、これからの人生を切り開いていく上で、いつか何かの役に立てばいいなと思う。

教育というのは、種を植える仕事なのだと思う。収穫までは長い道のりだ。すぐに成果は出ないし、手をかけるのをやめてしまえば枯れてしまうかもしれない。いつか、ステキな実となって、その果実を楽しむ日が来てくれたら、担当教員としてこんなにうれしいことはない。


追記:
清泉女子大学文学部地球市民学科の第1回NZFWが、滞在先のネルソンの地元紙「Nelson Mail」に取りあげられました。参加学生にとっても、いい思い出になったことと思います!このFWを支えてくれた多くの人に改めて感謝!


"Japanese university's dream Nelson Visit" (Nelson Mail, Sep. 13, 2013)












2013年9月6日

自然との距離を測定する

清泉女子大学文学部地球市民学科の「フィールドワーク1(NZFW)」、順調に進んでいます。

エイベルタズマン国立公園にて、1泊2日、シーカヤック+トレッキングで過ごしてみたり、マオリの人々の思想を学んだ後、彼らと一緒に彼らの聖地に連れて行ってもらって、マオリの薬草学を直接学んだり……。

「自然と現代社会・現代文明との関係性を再考する」というテーマ、いろいろな角度から深めることができている。

横軸をとって、その左端は「自然」、右端は「現代社会・現代文明」だとしたら、自分はどのあたりでどのようなバランスをとりながら暮らしているだろうか。

マオリの人々と過ごす中で、彼らの自己紹介の仕方が印象的だった。図解すると、以下のような形になる。


この図は彼らの世界観を表している。山があり、その山を川が流れ、川は海に注いでいる。その上にカヌーが浮かんでいて、その上に乗っているのが我々だという世界観である。

自己紹介もこの世界観を反映させたものとなる。つまり、「私の山は●●で、私の川は●●で、私の海は●●で、名字は●●、名前は●●です」という具合である。

自分は「母なる大地」の一部であって、「名前」はいくらでも後から変更できるが、山や川や海はそう簡単に変わるわけではないという。

ところが、この自己紹介、主に東京エリアに住んでいる学生たちが真似して行おうとしたところ、うまくできない。言語の問題ではなく、自分の山が何で、自分の川が何か、自分を取り巻く自然環境についてよくわからないのだ。

多くの学生たちの生活が、自然から遠いところにある、ということもこんな自己紹介を経験することでも見えてくる。

東京都目黒区生まれの僕の場合、「私の山は富士山で(小学校の屋上から見えた山といえば富士山くらい・・・)、私の川は目黒川で、私の海は東京湾です……」みたいな話になってくる。目黒川も、東京湾も何だかねぇ……。

でも、この話をしてくれたマオリの人に聞いたところ、自分の山や川などを変更してもいいそうだ。出生地に必ずしも縛られることはないという。

松本在住の今では、「私の山は常念岳で、私の川は梓川で、私の海は太平洋(日本海とすべきかもしれないけど、自由に選んでいいというのなら太平洋を選ぶ)で……」となる。

自然との距離。ここNZにいると、毎日のように考えさせられる問題だ。









2013年8月30日

ローカルの魅力

グローカルという言葉がある。随分前によく使われていたように思う。グローバル化時代のローカルを、わりとポジティブに表現した言葉だと理解している。

最近は、その当時より耳にする機会は減ったようにも感じるが、この言葉の意味は、いささかもその価値を失っていない。むしろ、増大しているし、この先、ますます「ローカルの魅力」について考える重要性が増すことになるだろう。

「ローカルの魅力」というが、ローカルなら何でもいいわけでもない。どんどんローカルな魅力をこれから発見しましょう、というだけのことでもない。やや厳しくいうなら、同じローカルでも、魅力あるローカルと、そうでもないローカルがある。ただ、ローカルならいいわけではないのだ。

今は、学生たちと「フィールドワーク」という授業のため、NZの田舎街に来ている。でも、ただの田舎街ではない。田舎の良さにだけ溢れているというわけでもない。もちろん、周りの自然は素晴らしい(3つの国立公園と2つの海洋保護区に囲まれている)が、徒歩で完結する街の中心部には、魅力溢れるローカルなお店が溢れている。

レストランもカフェもレベルが高いし、アーティストのお店も多い。映画『ロード・オブ・ザ・リング』で使用された指輪を制作したというジュエリー専門店もこの街にある。

今回のフィールドワーク講義の共通テーマは、「自然と現代社会・現代文明との関係性を再考する」というものだが、学生たちには、「ローカルの魅力の源泉」についても調査してもらっている。

「魅力溢れるローカルとそうでないローカルとの分かれ道は何か?」というテーマである。今も、学生たちは、街を歩き、人に会い、話し、感じ、食べ、笑いながら、フィールドワーク敢行中である。明後日からは、泊まりがけで国立公園を、ネイチャーガイドと共に歩く。

「ローカルの魅力の源泉」という次の時代に核となるテーマの答えは、おそらく机の前で考えていても、ネットでどれだけ情報を集め、記事を読み、動画を見てもわからないと思う。

「Don't think, just feel!」の世界である。来て、見て、触れて、五感プラスαで「感じる」ことだ。その上で、自分の頭で判断したらよい。「常識のワナ」にとらわれないことだ。

「感動の質と量が深く大きいほど、人生はより豊かになる」と信じている。「自然が美しすぎて涙が出た」という種類の感動を大事にしたい。









2013年8月27日

最近の中東情勢をめぐる所感

エジプトもシリアも動いている。両国とも、多くの友人やお世話になった方々がいるので、心を痛めている。

エジプト情勢やシリア情勢について、書いたり、話したりしたことのいくつかが、活字になったり、番組になったりした。


シリア・レバノンを知るための64章』明石書店、2013年。

『エジプト政変』の裏に人口問題と油田減衰」『FACTA』2013年9月号。

エジプト騒乱に見る近代の終わりの始まり」(マル激トーク・オン・ディマンド 第645回(2013年08月24日)


今問題が起きているアラブ諸国の多くは、構造的要因が相俟って、情勢も展望も厳しい。


ここで指摘しているような構造的要因は、今混乱が起きている国や社会に特有のものではない。むしろ、先進民主主義国も含め、大いに関係がある。共通する問題を抱えているし、これから抱えることになる。


シリアもエジプトも、どこか遠い国の不幸なお話しでは済まされない。そのことに気づけるか、気づけないかの差は大きいと思う。